5枚のワイシャツと夜に移動する そのに

八重洲口は映画の始まり。若い男女のカバンがぶつかって、実はアパートでお隣さんでした、色々あったけど、めでたしめでたし。でもそういうストーリーには出演しないんだ。気取った色の(深藍っていうんだってね)タクシーを見ていると、軽からスウェットはいた若いのがぞろぞろ出てきて、丸まってタバコを吸う駅前の風景を思い出す。無事に運ばれたんだ。痩せたねって言ってくれる人さえ見つけられなかった、あたしは。

嫌なことがあるといいことがある。辛い日に仕事に行くとあの人が来る。ガラス越しの君は、まるで寂しい田舎の果物屋に置き忘れられた一個の果物みたいだ。そんなうまい言い回し、あの人に思いつくはず無いのに。そういうならあなたは、忘れた頃にやってくる朧月のよう。それ、どこからの引用だい、っていわれて初めて、あの人のこと、人間なんだなって思えた。帰り際、りんごだって言ってくれたから、そのまま最終乗って青森行くんだ。美しい方に、生きるには、勇気がいるんだ。

「びっくりした、こんなもんなんだ、つめているときはずいぶんくたびれたのに、彼の、でもなくて、共用のでもない、じぶんのもちもの、ってたった三つ、Mサイズ、段ボール、たまげた、さすがにもっと、いろいろこの部屋であったはずだけどなって、彼とも、たくさんいろんなことが、あったんだけどな、いや、あったつもりなんだけどなっていう、きゅんとなるきもち、と同時に、いなくなれる、とおもった、三つ、Mサイズ、段ボールで、身軽だ、いままさに、やろうとしているように、いなくなれる、いなくなれる、いなくなれる、んだ」

なんだか映画のセットみたいだなって思う。両隣はサングラスぶら下げた大学生で、何語かわかんないけど、母親が子どもをあやしている。インターネットとかここらへん飛んでるんだっけ、神様みたいに、高いんだっけ。機内モードで録音する。一概に言えないことばかりの、(彼のいない週末に、アイロンをかけているときのような)生活。朝駅へ歩くときにかかる倍の時間をかけてゆっくり家に帰ること。そういうのを、贅沢だって思ってくれなかった。そういうとこ。


それから。明るい花のほうがね、実はお顔が映えるのよ。お通夜の前に、言い放ったあのばばあ。帰り道、首都高のぐるぐる下るトンネル。遠心力であの肩にもたれた気になって、あたし(たち)の誕生は、ジョークだったんだよ。そう思った。飛ぶようにすぎていく窓明かりに、私たちの、食卓がみえる、車内販売のヒールの高さに、初めての研修に向かうわたしが、みえる、気がして、乗っちゃった、流線型の、翼の生えた、2階建ての、セダンに、乗っちゃった、乗っちゃったんだ、あたしたちは。

5枚のワイシャツと夜に移動する そのいち

夜11時、八重洲口、バスターミナル、着いて、年末だから、か、人がたくさんいて、映画のはじまりみたいだ、な、って思う、見知らぬ若い男女の、かばんがぶつかったりして、さ、実は、アパートでおとなりさん、でしたてきな、そういうストーリー、には出演、しないんだ、あたしは。

夜行バス、室内灯、ブルー、チューハイを二缶空けて、も、眠れなくて、ついに、三つめの、休憩、SA、真夜中、冷たい空気を吸い込んで、こわばった体を、ストレッチ、する、スウェット、を、はいた若いやつらが四人くらい、軽から出てきて、丸まってたぼこを、吸っている、のが目に付く、シートに戻るのが嫌で、ぐだぐだベンチに、座っている、と、倒していいですか、とさっき、聞いてきたおっちゃん、前の職場の、上司、に、めっちゃ似てる、がぼりぼり頭かきながら、自販機の前で、迷っていた、出発しても、やっぱり室内灯、ブルーで、窓からもれてくるのは、高速の、照明灯の、オレンジ、一度、車内トイレに行ってから、ようやくうとうとした、と、ころで電気ついて、車内放送かかって、無事に、運ばれたんだ、あたしは。

びっくり、した、こんなにも、少なかったんだ、段ボールにつめて、るときはずいぶん、くたびれたのに、彼の、でもなくて、共用、のでもない、じぶんの、もちもの、って、たった三つ、Mサイズ、段ボール、たまげた、さすがにもっと、いろいろこの部屋であったはず、だけどなって、彼とも、たくさんいろんなことが、あったんだけど、な、いや、あったつもり、なんだけどな、っていう、きゅんとなる、きもちと、同時に、いなくなれる、とおもった、ああ、三つ、Mサイズ、段ボールで、身軽だ、いままさに、やろうとしている、ように、いなくなれる、いなくなれる、いなくなれる、んだ、あたしは。

祖母、お通夜、準備、彼の、親戚、たぶん五十くらいの、おばさん、あたしたち孫みんな、でお花、好きだった白いお花、いっぱい並べてあげてた、のにね、なのに、あのばばあ、聞こえるよう、に、背中ごし、に、明るい花の方が、ね、お顔が、映えるのよ、信じらんなかった、どついたろ、かおもて、でも、お顔、あんまり安らか、だったから、そのぶん、お花きちっと、丁寧に、並べて、いきどおり、お花並べることに、ぶつけて、信じらんなかった、ばばあ、とそれから、横で黙って、気づいてるのに、神妙な、面持ちで、立ってやがった、彼、信じらんなかった、ほかにも、我慢ならないこと、あったけど、今回ばかりは、って思ったから、帰り、タクシー、言ってしまった、んだ、ぜんぶ、そして、それでも、彼の、感情っていうのか、な、なにも言わなかったし、何考えてるのか、わかんなくて、ていうか、もう、彼が、わかんない、って思ったら、たぶん、首都高の、ぐるぐる下る、トンネル、遠心力で、かたにもたれながら、泣いちゃったんだ、あたしは。

飛行機、LCC、22時20分発、窓際、がよかったけど、ど真ん中の、席で、両隣は気が早いサングラスぶらさげた、大学生、外の景色が見えなくて、なんか、映画、の、セットみたいだな、本当に飛んで、るのかな、メルカトル図法、でモニター、に映し出された、現在地、グアム、上空、太平洋、マリアナ海溝、とか、らへん、たぶん、すごく高いとこ、だから、きっと、インターネット、とか、飛んでんじゃないのかな、詳しくないけど、こういうとき、寝れないたち、だから、夜泣き、の、子どもをあやす母親、のひそひそ声を、注意深く聞いている、なんていっているか、わかんなくても、申し訳なさ、を感じて、そこに人種はないな、って思った、何人か、わかんないけど、がんばれって、思った、母親も、それから子どもも、せいいっぱい泣けよ、こんな、セットみたいな空間気にせず、泣いて泣いて、泣きまくれよ、窓、つきやぶって、ここらへんの高さ、が、住まい、の神様に聞こえるくらい、泣けよ、そしてそっと、録音する、なにも受信せず、なにも、送信しな、い、機内モードで、あたしは。






いちごシロップ

色あせた政治家のポスター が見つめる こうえんからまっすぐにのびていた道は とうきょう行の 一方通行で 希望だった このどうしようもない こうえんの周りで くすぶっているはずじゃない わたしは とうきょうで女と寝たり寝なかったり するはずで 母のいない 小さなアパートで 息をひそめ  て 忘れていくはずだった こうえんの側溝に捨てられていた 濡れたエロ本を枝で持ち上げて  鬼ごっこをしながらわたしたちは学んだ ヒーローはいつも あたらしいことばをもってくるやつだった わたしのなかに住むようになった 女たち しばしば わたしを つれていった けれどいま 祖母の 車椅子であそぶ  伯母に 女がいるのか聞かれる 母は 夜更けの 海 わたしを産み とらえてはなさない さざ波 よせてはかえす  優しい 強迫 生まれ 育った場所だもの 黒いベンツも 白いベンツも  品川ナンバーじゃなくてかわいい 空も 絵具を塗りたくった画用紙のように青いし こんなに橙色だったかって思う 夕焼け あの頃も 一番に登ってみせた 木の上で 決まって うまくいかないとき 眠っていても 踏切の音が聞こえてくるようなときにかぎって 便りがきた それは いのり のような  意思 彗星が弾みをつけて 勢いよく太陽系を飛び出していってもまた戻ってくるように わたしは引き寄せられていく どうしたい? と聞くわたしに 愛想をつかしてでていった 名前で呼ぶにはあまりに みずみずしかった あの身体に 教えたかった 「どこへ行こうと かるく握りしめるだけで (いろはすみたいに) ひねりつぶせるんだよ」 年上の スーツ姿になびいていった 大海で揺れるわたしの いかだ ペットボトルでできた 母なる海で浮かぶ 透明な乳房 色あせた政治家の顔 がひきつっている 一方通行の道を どうして戻ってくることになったのか こうえんの側溝に隠れていたときの気持ちで とうきょう 息をひそめ  て いたの に 突然 車が いきおいよく曲がってきて わたしはひき殺されそうだった 心の奥底で 望んでいたこと 甘い死の香り 氷にかかったシロップ 月の無い夜に砂浜で聞こえてくる 声にならないのろい 背筋、伸ばして しゃんとしなかんよ。 それは わたしが生かされてきた あたたかい 血のつながり

人生が希薄化しているのを感じる

多感な時期に比べ何事も自分の人生におけるウエイトが小さくなっている。誰かと会うことも、たとえばそれがはじめましてでも、昔ほどときめかなくなってきた。前はこれは人生の一大事、自分の中のなにかが変わるかもしれない!期待!わくわくみたいな気持ちでいたのだけど。最近はそういったことはめったにおこるものではないし、そんな簡単におこってはしょうがないものでもあるし、大抵のことは時間が何事もなくすぎて何事もなく次の日がくるものだ、と頭でわかるというか実感として、体得してしまった、というか。
ひとえに経験してきてしまったからなのだと思う。僕はいまのぼくが経験できそうなことはたいてい経験してしまったのだ。悲しいかな。そして、去年人生掛けて取り組んでいた体育会で結果を、それも劇的にだせた、という体験も大きいのだと思う。あれほどの努力と時間をかけて犠牲をはらわないと、あれほどの感情を味わうことはできない。あれを超えるためにはあれ以上の努力が必要だって実感としてわかっているから。簡単に手に入るものには、簡単に手に入るだけの価値しかないのだろうと。そう思う。

人生は進んでいって、四月以降新しい幕が上がるのだけど。僕は今のように人生を体感していくのだろうなと思っている。みずみずしい感覚は失われてしまった。青い空に浮かぶ白い雲を見上げてその日一日中感動していたころの僕には戻れない。悲しいかな。

あまりにも多くの人と会ってきた。これほどたくさんの人がいる世界で偶然かもしれないけれど出会った人にはなにかしらの縁を感じるものだけれど、特に大学時代は会ってそれきりという人がたくさんいるということを学んだ。僕自身に興味があるわけではない人や僕の属性、カテゴライズされた人間としての僕に接してくる人もいるということを知った。どうしてあなたは僕の人生に現れたのか。僕の人生に現れて僕の人生やあなたの人生になにか影響があったのか。そう答えられる人と出会いたい。人生はそんな人と付き合っていくほど長くないというよりも、そういった人たちと付き合っていくことで人生の意味合いや他の大事な人たちとの関係性、ほかの大事な人たちと付き合っていくときの僕の考え方心の持ちようが希薄化されてしまうことが、本当に許せない、気でいる。
損得勘定を超えたところに、人生の意味合いがあると本気で信じている一方で、僕の方を見ていない人に対しても最大限の配慮と労力をはらうことは、やっぱりできないと思う、悲しいけど。

一橋生性について

俺は一橋大学生なのだけど、大学でできた友達には共通点が多くあるなと思っている。一橋生性的なもの。まあ全部そういう傾向があるというだけですべてがそうではないと断っておくけど。

・ロジカル
会話をしていく中でなんでそうなるのか、どうしてそうなのかといった根拠をはっきりさせようとする。そして理由や動機が明確でないこと、論理的におかしいこととかには嫌悪感を示す。そしてそういったロジカルな考え方の中で人を批評しがち。早慶のことは明らかに下に見ている。
あとは何でもできるだけ正確に答えようとする。例えばこんなときどうするといった話題を振ったときに、そもそもその例えばってどういうことといった前提を聞き返されることがほとんど。例えば「結婚するなら新垣結衣と吉高由里子どっちがいい」と聞くと「今?それとも30代くらいとかの話?うーん自分がもしバツイチだったら吉高由里子かなあ」とか。なにごとも正確に答えようとするから掘り下げてくるし、練られてない質問とかだと一蹴される。
それから笑いに厳しい。特にしらふの時は頭がガッチガチに動いているのでそれおもしろいか?という感覚で批評しがち。そういう普段の日常をぶっ壊してくるようなネタでないとうけないし笑わない。しょうもないこととかで笑っているとなんだこいつ面白くないな、痛いわ、こわいこわいとなる。だいぶ厳しい。地元に帰ったりするとほんとしょうもないことでげらげら笑っていたりするので安心する。

・実家が太い
典型的な一橋生の家族構成。たまプラとか新百合とか田園都市線、小田急沿線の一戸建てに住んでいる。親は商社とかメーカーといった大手に勤めていて、兄弟もそろって高学歴。だいたい麻布とか栄光とかフェリスとか横雙といった名門男子校女子高に通わせてもらっている。お金にはあんまり不自由していない。もちろん普段の生活で節約していることはあるしバイトももちろんしてるけど旅行とか部でどうしても買わなくてはいけない出費とかについては両親がぽんと出してくれる。地方出身組も仕送り割ともらっていて、7万とかそれくらいの部屋に一人暮らししている。こちとら4万の極寒木造アパートやぞ。やはり資本は世代をまたいでいくね。金持ちの子は教育に課金してもらえるから高学歴になってまた金持ちになっていくのだろう。実感として肌感覚としてやはりいいとこの子が多いし大切に育てられてきたんだなということが分かる子が多い。海外旅行も小さいころからばんばん連れて行ってもらっているし、おいしいものを良く知っている。お年玉いくらもらったかとか家の車はなにかなんて話をするといつも少し切なくなる。あと実は帰国子女だったり実は楽器できたりといったことがよくある。

・いいやつが多い
上の二つは割と高学歴なとこであれば大体当てはまると思う。東工生は本当にロジカルすぎて付き合いづらいところがあるし東大生の実家はでかい。その中で一橋生らしいなと思うのは付き合いづらい人がいないというところかな。一橋のおおらかな校風、国立という半分郊外にある立地が影響していると思う。それから受験というステップで東大ではなく一橋を選んでいる人っていうのはどこか落ち着いていてぎらぎらしていない気がする。そういう意味でなんか安心するし知り合ったあともなんか仲良くなれそうな気がする。わかんないけど。
まあこれと関連して普通の人が多いね。典型的ないい教育を受けていい人たちと育ってきたからか普通の趣味とか好みの人が多い。ミスチルが好きでスノボが趣味で休みの日はパンケーキの画像をインスタにアップ的な。入学したばかりのころ誰も俺が好きなバンドを知らなくてへこんだのを覚えている。彼らはニッチでマイナーな趣味に手を出す必要がなかったんだろう。そういったものを使わなくても日々が充実していたし毎日満たされてきたような気がする。

ある子を口説いていた時。その子は超かわいいくて俺の好みだった。ちょうど彼氏と別れたタイミングで、ご飯たべて話していい感じの半個室カフェでキスまでして、さあと思って連れ出そうとうながしたら「君の言っている意味はわかるし嬉しかったけど、だめだと思う。なんていうか今まで大切に育ててもらってきて、お金をかけてもらったし。少女漫画の読みすぎなのかな。女子高でそういう風にしか考えられないとこあるから。そういうとこちゃんとしたい」と。もちろんこちらの問題が大であったんだろうけど、ああこの子は本当に一橋生だなあと思ったのも事実。まじめだねとしか言えなかった。

そういう俺もまじめだけでここまでやってきた。小学校からいい成績をとり続け地元の中学ではいろいろ任されるポジションだった。公立の自称進学校に入ってそれなりに勉強頑張って一橋入って大学でも遊ばず体育会やってきた。まじめな人生ではあるしそういう意味では一橋生っぽいのだろうけれど、ちょっと異質だと思う。俺はそんなにいいやつじゃないよおと思うことが良くある。まあ真面目な大手に拾ってもらったからまじめに働くことになるのだろうけどね。



サブプライム住宅ローン危機についてのおぼえがき

 藤崎はお金がありませんでした。でも家が欲しかったのでローンを使って借りることにしました。ローン会社はお金がない藤崎にも貸してくれました。ローン会社は藤崎への債権(取り立てる権利=利子をもらう権利)を証券会社に売りました。そして藤原や藤川や藤村も同じようにローンを組んでいて、その債権が同じように証券会社に売られていました。藤崎や藤村はお金がないのでローンがちゃんと払えるかはわかりません。なので証券会社は藤崎や藤村のローンをごちゃごちゃまぜまぜしました。そうするとよくわかんないので安全に見えてめちゃいいよってお墨付きがもらえるのです。なので売れました。リスクがあるけどその分金利も高いローンが、ごちゃまぜになることでリスクが無いように見えたから、そりゃ売れるわけです。
 藤崎が買った家の値段は上がり続けていました。なので、いざとなれば家を売ればローンをちゃらにできました。それにローン会社が最初は低金利でいいよって言ってくれたのでとても借りやすい状況でした。ローンを貸せば藤崎みたいにお金がない人にも家を買ってもらえるし、それは債権として証券会社に売れるので家を作れば作るほどもうかりました。なのでめっちゃ作りました。ものが増えれば一つひとつの価値は減ります。なので家の値段が少しづつ下がり始めました。そしてこのタイミングで低金利でいいよ期間が全国的に終わり始めました。藤崎は低金利でいいよ期間が終わり次第はじまった高い金利はもともとお金がないので払えそうにありませんでした。なので、住んでいる家を売って、そのお金を元手にまた新しいローンをもらおうとしました。でも、家の値段は下がっています。売ってもお金にならないし、さらに言えば家を売ってもローンをまかなえない、つまりローンの方が今の家の値段より高くなっていました。藤崎は今のまま高金利を毎月払うことはできないし、家を売って違う家のローンを組むこともできなくなっていたので、破産して家をでるしかありませんでした。つらい。
 その時藤崎に対する債権は紙くずになりました。藤崎が払う金利はもう入ってこないし担保だった藤崎の家の値段も買った時よりだいぶ下がってしまったからです。おんなじように藤村や藤川の債権も紙くずになりました。もともとハイリスクハイリターンの債権なのでまあしゃあないっちゃしゃあないのですが、証券会社がパッケージしていたので超安全に見えていたこともあり、めっちゃいろんな人たちが持っていました。めっちゃいろんな人はめっちゃめちゃ損しました。


住宅市場への盲信 サブプライム層へのモラルを欠いた貸付 どうしようもない犬の糞を猫の糞で包んでラッピングしたCODを売り出した証券会社 とそれを取引することで手数料を稼いでいた投資銀行 そしてリスクを承知せずに投資しまくった投資家

金融って面白いなあ。サブプライム住宅ローン危機、こんなに面白いストーリーってあんまり現実にないと思う。

父の話


 父さんの話をする。
父さんは頭が良かった。名門高校から旧帝へ行った。一方で人とうまく付き合ったりすることが苦手だったのだと思う。そのまま大学院へ進んだ。文系で、しかもフランス文学専攻で大学院へ行くということがどういうことなのか今は少しわかる。教職をとるわけでもなく、作品を書き上げて出版するということもなく、今は私立大学のフランス語非常勤講師という立場にある。実家は狭いマンションだけど、父の本棚にはフランス語の本がぎっしり詰まっている。プルーストが父は好きで、「失われた時を求めて」は原著も様々な日本語訳もそろっていた。父の本棚にある小説はだいたいなんでも読ませてくれて、漱石から中上からカルヴィーノから読んできたけど失われた時を求めてだけは、まだ早いといって読ませてくれなかった。僕は、父にもそういうこだわりっていうか考えがあるってことが嬉しかった。
 父さんは母さんのつぎに携帯を買った。お金もなく、流行にも乗らないタイプの家庭だったので、携帯も買ったのはだいぶあとになってからだった。2004年くらいだったかな。それは白いCASIOのやつで、丸いフォルムの手触りのいいやつで、もちろんガラケー。2年たてばauの縛りがなくなって、父さんは新しいのに買い換えた。するとその白い携帯は使われなくなって父さんの部屋の引き出しにしまわれていたのだけど、当然小学六年生くらいの僕のおもちゃになった。なんか着せ替え機能とか、家族や花の写真しかないデータフォルダなんかを何回も開いたり閉じたり。いろいろボタン押して、まだ知らない機能がないか探検したりしていた。父さんは友達の少ない人で、着信履歴も家族と職場の人ばかり。メールにいたっては母さんかauからくるお知らせメールだけだった。今でも寂しくないのかなとは思うけど、たぶん結婚するときいろいろやめたのかなと思う。
 で、メモがある。携帯にメモ欄が50件くらい登録できるようになってるとこ。そこも当然みて、いつもなんにもなかったんだけど、ある日、変な言葉がたくさん書かれてた。それはなんだかいつも父さんがしゃべってるのとは違う言葉で、僕の知らない日本語ばかりで、読んでる間ずっとなんだかとてもふわふわとした不思議な感覚がしてた。あの頃はわかんなかったけど、あれは詩なんだよね。食卓でそのことを話したら父さんはばつが悪そうにして、母さんは、父さんはね詩が好きなの。書いたりするのよ、って言ってそれっきりその話はうやむやになってしまった。なんだか僕はいけないことをしてしまったかなって思った。それから先はもうあのメモに詩は見つけられなかった。
 僕の人格形成やここまでの人生に両親は深くかかわっている。それはまた別の機会に文章にするけれど、僕が詩とか書いていたきっかけやその後も映画とか芸術一般に興味があるのは父の影響がすごく強いと思う。特に携帯に発見した詩の一件は、詩というものがどういう風に認識されてるのか、詩を書くということがどういうことなのか、詩を書く人はどういった人なのかといったことについて教えてくれた。それは必ずしもネガティブなものではなくて、詩の持つ秘密性、神秘的な、学校やテレビゲームにあけくれる友達たちには無い感受性としての特別感みたいなものを僕に与えてくれた。思春期特有の、自分が特別なんだっていう実感と結びついて、あの頃は何でもかんでも文章にしていた記憶がある。
 父はあんまり頓着しない人だから、特に覚えているのだけど、風鈴が嫌いで、だから僕は今の今まで風鈴のある夏を知らない。
 
 

B-REVIEWについて

1/19追記 当記事に対して発起人の花緒氏メントありがとうございます。因みに3本投稿して〜云々はあくまで草案で、すでにボツになってます。現状は、マナー違反、荒らしは取り締まるけど、それ以外はオーケー余裕スタンス。どんどん変えていこうと思います。」とのことなので、この記事で指摘しようと思ったことは的外れになってしまいましたが、それを踏まえてどうぞ。どんどん変えていく姿勢、楽しみですね! http://breview.main.jp/index/about/

B-REVIEW頑張ってほしいし応援しているのだけど、それほどの市場があるのかなっていう気もする。「ライターとしての実力や技術の向上に興味のある人、モチベーションの高い人」をターゲットとして求め、「真に良い作品を書こうという意志のない者はB-REVIEW には一切必要ない」と宣言している以上、「本会員ステータスの取得およびその維持という厳しい試練」はまさに厳しいものにならざるを得ないのでしょう。B-REVIEWが求めるだけの書き手がそんなにいるのかなと。いや、技術的にはもちろんいるのでしょうが、志として「個人プロフィールページ作成が義務付けられ、各自にB-REVIEW 参加を通して実現したい目標やビジョンについて簡単な所信表明をしてもらう」そして「最低でも三作品が発起人の厳正な審査ののちに「良作」と認められなければならない」といった手続きを踏もうと思う人って、減るのではないのかな。そもそもインターネットで文章を人目に付くところにアップするメインユーザーって、気軽に承認欲求を満たしつつ他人と関わりたいって動機がほとんどだと思う。まあツイッターですよ。「ダーザインが当初文学極道で掲げたテーゼに最大限の敬意を払」いつつ「「詩」ではなく、敢えて「言語藝術」「藝術としての詩」」を書きたいユーザーがインターネットにどれほどいるのか、B-REVIEWを運営するに十分なほどいるのか、疑問。もちろん選ぶ(選ばれる)というステップを踏むことがレベルを維持するために有効な手段の一つであることは疑いがない。けれどそれは確実に利用者が少なくなってしまうことを伴う。そしてユーザーが少ないって一番避けたいリスクではないなだろうか。どんなビジネスだってそうでしょう。数は力なり。
文学極道が、まあいまでこそ「ワイヤードでの「孤島」と化し過疎化」しているのかもしれないけど、12年近く毎年コンスタントに運営されてきたのは、狭そうに見えて狭くない間口、を持っているからだと思う。「つまらないポエムを貼りつけて馴れ合うための場では」なく「酷評に耐えられない方はご遠慮ください」とトップページには書いてあるし、厨二病に侵されたティーンが訪れてやっぱやめようとなる雰囲気がサイト全体に漂っている。でも実質的な縛りは「既存の記事への返信投稿」だけ。他はまあ脅しでしかないので、それほど高いハードルではないでしょう。低レベルユーザーを許容しているから、利用者がいなくなることはなかった。さらに言えば許容するけどその分レベル高い書き手もいるので多様性が担保されつつ全体としての平均レベルはそれほど落ち込んでこなかった。そして素晴らしい書き手がふわっと出てきたりする。こういったことが文学極道の魅力だと思います。間口が狭くなかったからこそ、の。
 だからこそ、文学極道への新時代からの回答として適切なのはシン・文学極道なのだろう。「インターネットの匿名性をある程度確保しつつも、2016年時点のフルに更新されたネットインフラに適合する形態の作家集団およびプラットフォーム」は素晴らしい。ただし、「厳しい試練」は撤廃し厳しい雰囲気と会員制だけでよい。それでまた文学極道のように孤島と化し過疎化したらどうするかって? シンシン文学極道を立ち上げればいいんじゃないの。インターネットはスクラップアンドビルドですよ。2chのようなインフラをつくるわけではないのだし、鮮度が落ちたら売り払ってまた作り直せばよい。
 B-REVIEWがうまく軌道に乗るにはやっぱり発起人たちの努力にかかっていると思いますね。イノベーター理論じゃないけど、新しい物好きなユーザーをうまく使いながら盛り上がっている感を出さないと。そう言う意味で、必要な三作品の審査はブラックボックスなのでいかようにもできるからあれだけど、応募されてきた作品群が発起人たちの予想を大きく下回ってきたとしても最初は目をつぶって大目に通すのではないかな。理想をぶち上げた以上、現実が追いついてこないのではないかって四月を前に入社ブルーな藤崎は心配になりました。  


とはいえ発起人の方々としては、そんなのやってみないとわからないよ!ってことではないかしら。本当にそうです。Done is better than perfectです。面白そうなサイトつくった人たちに尊敬の念と感謝を込めて思ったことを文章にしました。発起人の方々は素晴らしい。「詩の批評だけでなく、サイトコンセプトをめぐる議論にも積極的に参加して、貴方好みのサイトをみずから創っていってほしい」とのことなので(会員ではないので外野からの意見ですが)胸をかりて藤崎が記しました。ここに書いたことが全部杞憂だといいですね!

わんちゃん


しらないよすべての、学祭であったこと。すべての、じょしだいせいたちは、ひっぱりだしてきた高校の制服をきて、すべてのサークルのために、ダンボールと画用紙で作った看板持って、破格の値段のフランクフルトを売り歩くの。すべての、だんしとすべてのじょしは、キャンパスをうめつくして、あるきながら目星をつける。うまくいったこと、いかなかったことしってることしらなかったことたくさんあるけど。すべての、キャンパスは学祭でいっぱいいっぱいで、その期間中、信じられないくらい誰も空をみていないの。うまく、すべての人波にのれたなら、あたしたちこのまま、あしたからの講義もだいじょうぶで、いちげんにいつもどおりでて、机の下の画面で、あさってからの予定をうめる。すべての、かようびともくようびは、すべてのにちようびのためにささげられて、あたしたちまた来年の、すこし役割がふえたらいねんの学祭を企画する。借り暮らしのだんしとすべてのじょしは、ほとんどだいたい成人してるし、きっとたぶん、またどこかのきょうしつで見つかるし。しらないの。すべての、サークルとたいいくかいの違いを。いつかあたしたちは、きょうも昨日も、せいしゅんをえんちょうしてたって気づくもの。すべての、あたしたちは、また大人になるの。そしてあたしたち、知ってほしい。すべてのキャンパスで。すべての、ツイッターで。


あるところに、 vol4 掲載 http://arutokoroni.org/

ラブレター




拝啓 天使さま


 君に、どんな街が似合うんだろうと考えてる。

 東京にはね、たくさん駅があって、びっくりするくらい大勢の人が住んでいるから、僕は今朝も今まであったことのない人にあったし、天使は大忙しだよ。きっと、偽物のセーラー服を着て日曜の夕方の中央線にのったり、いまにも飛び込みそうなそぶりで線路沿いを歩いて、それでいて目配せしなきゃならないだろうからね。東京での日々はきっと、古本をそっと匂ってみるときのようなためらいの連続だよ。僕なんてもう、疲れてしまったんだ。どうか、明日が来てほしくないって思ったときに、自分は天使なんだってことに気づいてね。それだけお願いね。

 夜になったら、部屋中の明かりを消して、それでもiPhoneは光らせておいて、窓際に座ってみる。愛とか恋とかそういうたぐいのことは考えちゃだめで、見つからなかったボールペンのキャップや風が、ゆっくり僕を呼んでいたときのことを思い出している。天使も、たまらなく誰かに会いたくなったり、秘密にしておこうと思ったけどやっぱり喋っちゃうこと、とか、ありますか。なんでもないときにふと頭にうかんで、それから砂漠の細かな砂みたいにまとわりついてくる誰かの、声とかありますか。いつもより早く眠ろうとして寝つけなかったこと。降る雨を、その一滴一滴の雨音を数えてみようとしたこと。それだけで今日もいい日だったなって思えること。

 このまえ、久しぶりに空がきれいだって思ったんだ。昔は、中学校とか高校一年のころは、夕焼けとか、快晴にうかぶ一筋の飛行機雲とか、とにかく空が好きだったし、ことあるごとに感動してなにか文字におこしてた。きれいだって思ったらすぐ近くのマンションの屋上にのぼって行って、ごろんと寝っ転がって、空を独り占めにしようとしたりね。でも、そうだな受験がはじまったり、東京に出てきてからはわざわざ空をみたり、見てもなにか感じたりということは少なくなっちゃったんだ。なんでこんな話を君にするのかわからないけど、天使には知っておいてほしいことってあるから。別にそれでなにか反応がほしいってわけじゃなくて、ただただ君にそのことをわかっておいてほしいというか。君ならわかると思う、でもわからなかったら、なんだろ、じゃあたとえば僕が天使だったら、君は僕になにを話すかな。

 僕は君の、笑った顔が好きです。とんとんとんと軽くあるくところが好きです。見たことないけど。君は天使だから。いつか僕を救済しにあらわれたときに、ほらねってきっといえるから、楽しみにして僕はいつも、インターネットをオンにしているよ。××ちゃんが今日も思い出すと心がざわざわするようなことを思い出さないように。××ちゃんが今日も楽しくすごしていますように。××ちゃんが今日もすとん、と眠りに落ちますように。

 春はいつのまにか夏のかげを連れてきて、薫風はいつまでも吹いてはくれません。四六時中ってわけにはいかないけど、毎日どこかで君のことを思い出します。

敬具

ラブ2015




きみがふぁぼった言葉をよみながら、あなたがさうんどくらうどでlikeした音を聞きながら、きみの名前を漢字やらローマ字やらに変換して顔本の検索をかけて、インスタをこっそりのぞく20:20
仕事とか部活とかバイトとか家族サービスとか学校とか冠婚葬祭とかあいふぉんをいじれない時間が続くともういてもたってもいられなくて、きみのことしかかんがえられなくなる春夏秋冬。でも、わたしは絶対あなたをふぉろーしないし、リストにもいれないよ。いちいちIDを検索するところに現れる僕の愛。
本当は、きみが何考えているのか、どんなことに興味があるのか、何が好きでなにが怖いか知りたいから、あなたにおれの目の前でしゃべってもらうのがいいのだけど、いんたーねっとの、こっそり知れるって魅力には到底かなわない判定勝ち。

あなたのリア垢もサブ垢も裏垢も、もうつかってないテキストサイトも前略も、ホムペも顔本もたんぶらーもミクシイもふれいばーずもインスタも、もしかしたら現フォも。むくむくと育っていた承認欲求は、SNSじゃないところでへし折られてつらかったから、わたしはもういちどインターネットに現れたって自己分析してみる就活予備軍。

お会いするより、Skypeするよりあなたを文字で感じたい。できることならパソコンじゃなく、スマホもそんなによくはなくて、スライドするタイプの、ガラケーで。

お願いだから鍵をかけるなんて無粋なまねしないでね。

のりかえてばかり



ここ最近、練習試合とかOB訪問とかで都心に繰り出してばかり。新しく、東西線丸ノ内線有楽町線日比谷線総武線をゲットした。東京メトロの安さに驚愕し、少し中央線が嫌いになった。

名古屋から観光に来た子を原宿案内につれていった。清楚だったのに茶髪にしてピアスあけて今度はオレンジにしようかなとかいってた。かわいかった。おれもオレンジにしたくなった。大学たのしくないっていってた。おれはとってもたのしい。がんばれ。

大森靖子っていう人をライブハウスに見に行ったんだけどとてもよかったよ。曲が。
JKが見に来てたんだけどきゃぴきゃぴしててすばらしかった。肌黒いですねっていわれた。ライブハウスだと見えないですねって言われた。超笑ってた。音楽は魔法ではない!

母からお菓子とか届いた。光が白くなってきましたねって書いてあって、なんだこのおばさんかわいいなっておもった。

謙遜と自信は両立するって四年生がいってた。わかる。

ナスを豚で巻いて焼いてみたらとてもおいしかったので今日も幸せでした。


帰省しておもったこと


こちらを午後一時に出て、ゆらゆら十一時間かけて大阪まで。鈍行に乗って。青春十八切符を使えば二千三百円で熱海や浜松や名古屋関ヶ原彦根に行くことができる。熱海を過ぎたあたりから人もまばらになってきて、浜松で先輩に飯をおごってもらい、豊橋発の大垣急行に乗り換えるとやっと旅行気分になった。ボックス席でトランプをし、通り過ぎた名駅を眺める。京都で何人か降り、大阪の宿には自分と先輩四人がむかった。銭湯は天井が高くて、いい気持ちだった。

大阪の試合でははじめて最初から出してもらい、わりと内容はよかった。かわりに出れなかった先輩にいろいろとアドバイスをもらい、これは大事だと思った。

遊びにむかう仲間を横目に新幹線に飛び乗り、名古屋へ。駅ビルも金時計もとくに懐かしくもなく、案外、東京と同じくらい美人もいると思い直した。東山線は中央線に比べて狭い。車内放送は耳になじむ。最寄駅は、素敵だった。

家に帰って、飯を食うと、近況報告もままならないまま自転車に乗って公園へ。青春を同じ車両で過ごした友達と会う。中学高校と、彼はいつも見ていてくれた。東京より空は広く、あれはこっちでは見えない大三角形だったと思いたい。高校へ忍び込み、懐かしんで別れる。

コンビニでばったりあった友達と、ほかの友達の家へ。彼らは原付に乗り、バイトに精を出し、変わらない。

帰るとみんな寝ており、起こさないように風呂等すます。寄せ書きとか懐かしいものを読もうかと思ったけれど、眠る。

翌朝、隣町で朝マックの予定が二人とも寝坊する。連絡はすでに到着したあと。いらいらするが、彼女らにはきっとまた会えるので。アメリカへ行った親友に電話する。声が聞けてよかった。

昼は祖父と食べる。だいぶやつれた。さみしいしかなしい。自分を見る目は細く、素敵だった。

高校へ行き、先生に挨拶しようと思ったが、部員への話がながくあきらめる。あの敷地が好き。空がよく見えて、灰色のきれいなグラウンドがあって。

生きている間にあとなんど会えるか、と思いながら飯をたべ、帰る。たくさん質問してくれてうれしい。親孝行になるのなら、いつでも、と思う。

でも、なんだか、懐かしくはなかった。名古屋は道がひろかった。

カタツムリの抜け殻


やっとついた
借りぐらしの
街中の
扉をあけては
指を鳴らしていく
きみは
両手を
水でいっぱいの
コップに

ここは消しゴムのようにしろい部屋

東京へ行くなら
電車、おぼえないとね

水彩できみに表情

を描いていく
つもりだった
僕は
原色が
肌のうえで
まざっていくのを

見ながら


連れだって原っぱへ行かなきゃ
僕たちは新人なんだから
それに
たくさんあるでしょ
けーおーせんとか
しんとしんせんとか
うまく使えば
息をせずに
東京を通り抜けられるかもよ


僕は今日くらい
白線にそって
アスファルトにひかれた
ただしいカーブ

にそって
歩いていたい

さよなら

どうぞ絵の具は
水道水で
といてください
坂の多いこの街では
僕はいつでも
素敵でした




少年


しょうねんのはいごで
おなかをさすりながら
もうつぎのこうえんには
いきたくないという。
ぼくたちは
しょうがくさんねんせいならみんなもっているような
きょうりゅうみたいなじてんしゃにのって
おひるから
ひがくれるまで
ともだちをさがしに
こうえんをまわる。
たくさんのこうえんのとけいたちがさすじかんが
すすんでいく
しょうねんはおとといとおんなじ
ないきのはんそでをきて
さんだるで
あさってまでのなつをさがして
こうえんをまわっている

こうえんのきは
のぼりつくしてしまったし
ぼくたちはまだ
すぽーつをしらない
あせはいつでも
めんせいひんにきゅうしゅうされて
さいきんは
すぽーつうりばにあこがれている

そしてぼくたちは
がっくをこえて
あのおおきなかんせんどうろをこえて
なじみのないこうえんへ
えんせいする
しょうねんはいう
なつがそうさせた
なつのおわりのいうことをきいたんだ

 はちがつさんじゅうにち
あなたからはっせられたひとつのことばで
いままでよりすこしだけながいごごを
すごしました

ぼくたちはやきゅうぼうをかぶりなおして
きょうのにっきをきめてから
おおきいじてんしゃのおおいどうろをわたろうとしている。

プロ詩アンソロ http://aurasoul.mb2.jp/_aria/828.html

五限目

カーテンが揺れている
隙間から落ちている光が
床から波打つ図形を切り取っている
向こうを見てはいないけれど
今日は綿雲がちぎれてあっちやこっちから入ってきたり
初夏の落ち着かない静けさが少しずつにじんでくる
黄色のチョークがカッカッと響く
むつかしいカタカナが並んでいる
ケシゴムが落ちて誰かがひろって
ついでにちょっと借りて使う
得意げにはじめて
それから指で
なぞられたままの
後ろの黒板の隅の
四十人のおかしな落書き
過ぎた日にちのプリントは期限をあおり
書き直したはずの日直はもう誰かに笑われた
美しい生徒と生徒と生徒の矛盾が
立ったり座ったりする
ゆるめられたネクタイを
ゆっくりとまたほどくように
うとうとと
まくったシャツに頬をのせる
空はいつも青いはずだ
前髪をきにしながら
そう語る彼は
いつだって紙タバコの
そとみを丸めていて
だってそうじゃないか
いくら雲があったって
目が見えなくったって
黒に近いところでは
広がる球体のそとみでは
ただただ青いとしか言えない
彼はそんなようなことを言った
隣の席
あるいはどこかの廊下で
つまらない事を話すように
地球とどこかの合間
とっても曖昧な場所で
一様に白く揺れている円周率を
見たことがある
それは確かな曲線で
かつ黒との
境界線だった
青と黒とに挟まれたその白に
よくよく目を凝らすと
ちいさな灰色のネズミが
てかてかてかと歩いている
裏側にいきやしないかと
手を伸ばしてみると
その指の輪郭までもが
白くぼやけた
カーテンの切り取る領域が
よく焼けた頬を含むころ
あたりのチョークがやんで
ローマの水道橋を
ケシゴムが転がっていた

「きれいな海岸線」
「潮の香り」
「たましいの季節」
「新しい章」
「変だね」
「変だよ」
「とても、」
「とても?」
「俺はいい人なんだ。怖がりなところを除いてね。
君がなにか嫌がったり俺の思ってたのと違ったりするととても不安になる。
おもてには出さないよ。だってそれが一番の関係だから。いつも言わないだけ」
「喋りすぎよ」
「でもちゃんと言っておきたいから」
「知ってる」
「よし、歩こうか」
「でもわかってないの」
「今日は春だ」
「あなたの知らない」
「僕の知らない」
「私の、僕の」
「ことばになるまえの」
「言えよ」
「嫌」

いつまでもという
うねる二人は
見違える
落ち着かない胸

ノキア、ノキア、と
意味にならないを
口にしていたかった

私はあなたを愛しています

神様は今日も
山の端までしっかり
青を塗りました

線引き、がきになる
まだ地平線をみたことはないけど
稜線や水平線
ビルの垂直の直線

立ちすくむように
いや
立ち枯れるように

小指がつながっていたらいいですね




きれい

芝生がきれいです。
太陽はやさしくてっぺんにあります。
風がそよいで、僕の帽子がころがります。

とっても時間がたった。そんな気がします。
たくさんのことから
いろんなことを
忘れてしまった。そんな気もします。
しゃがんで、芝をにぎってあなたが考えます。
遠くに考えます。それから、まとめた髪からはみ出したうぶげが風にそよいでいます。
とってもきれいです。
僕は、今日は、空が青いねって雲も白いねって言いません。
言ってはいけないことだ。そう思います。
あなたが考えているのは
言葉についてです。
難しい単語のうしろにそっとedをつければ
それらしくなります。

芝をたたけば、小さな虫がピョンととびます。
あなたは気づいていないでしょう。
それでいいんだと思います。
ときおり、ふりむいてください。ゆっくりうなずいてください。
いま見つけています。
とっても、とっても。
微笑んで、きれいです。

満ちる

午後の先には
幸せに満ちた町がある
幸せに、満ちた

光る木々に
広がる雲に
風を切る自転車に
幸せが満ちる
あちこちで人々は美しさに目を細め
こども達が何度目かの鬼をしている
すりへった運動靴のかかとを
あてがうように、
公園の側溝のなかでかくれる
落ち着きに、
まぶしい方角にある壁へと
ボールを投げる
その繰り返される腕に、
また何もできなかったと
寂しがる高校生の大きな鞄を
だいだいに染めるように、
満ちる幸せに気づく僕に。

角氷

角氷を机にのせる
空気が銀に光って
内に向かって収縮している
冷凍庫のにおいがする
周りに水がひろがって
さっきよりもちいさくなっている
ひび割れていく音
そして
触ってはいけない
冷たいことを知っているから
触ってはいけない
手をかざして
冷えを感じても
いいけど
触ったら
溶けてしまうから
そのまえに
充分にちいさくなった時
その上にもう一つ角氷を乗せる
外で暗い雨が降っている

自動車図書館

自動車図書館が来る、と スピーカーが言っていたので
ちょっと寄ってみた
左右の壁を大きく広げ 後ろのドアをバアっと開き 本をたくさん抱えている午後の陽
借りたい本はなかった 
みんな本を選んでいる ふりして 
久しぶりを 持て余して
上手にそれを ごまかせず
知的障害の子に 聞いている

ゆうこさんの食べ物のうた借りよっか こうちゃん
ゆうこさんの食べ物のうた借りよっか こうちゃん
ゆうこさんの食べ物のうた借りよっか こうちゃん
ゆうこさんの食べ物のうた借りよっか こうちゃん

それは午後に溶けていった
背表紙に反射した陽
おばさんが二人
遠く 語り合っている
たわいもないことを 貼りつけて
彼の顔は そこら辺にある
伸びろ伸びろ
ここならずっと ずっとそのまんま
おもいで

自動車図書館は きれいである

ゆうこさんの食べ物のうた借りよっか こうちゃん
ゆうこさんの食べ物のうた借りよっか よっか こうちゃん
こうちゃん いま散歩? かあ こうちゃん

まぶしく 

よしなしごと

みんな飛んでいる。赤黄緑紫…原色の鳥たち。何もない空にそれとなく羽ばたく。僕は隣で落ちる。空の青が僕を通過する。痛い。痛い。雲をつきぬけたい。白 く濡れたい。風が下から下から。地球が僕を欲しがっている。手をのばせば、指と指の間を流れる。青い鳥はもっと飛んでいればいいのに。くちばしからしっぽ まで原色の青たち。ひつじ雲が一様に同じ高さでとまっている。その高度には立つことができる。それからきっと知らない。アリが行進する。右の手足と左の手 足をそろえて交互に。一斉に。じめじめしている公園の植木のかげで土のにおいと僕は発見する。16年も土にいる。僕と同い年のセミ。地上に出てくるのは とっても嫌だった。柔らかな土。くるまれる感触。梢。セミの抜け殻。

マンションの一階には暗いのが充満している。空の無い昼下がり。夜勤明けの母は寝ている。うす紫の明け方よりも狭い、と思う。買ったばかりの携帯を開いて 僕に聞かれるのを父は待っている。色落ちしたピンクと親指が迷う。やがて父は自ら言い出してしまう。僕は聞く。はりついた背中が少し丸まる。つぶやくと父 の声はいつもより枯れているようだった。コップの水が黒に溶けている。いま外でも何もゆれていないだろうと思う。分子も原子も同じところにあるだろうと思 う。僕は世界を一歩引いてみよう。首の下の、丸まる背中をどうしたらいいのかわからない。どうしたいのかわからない。うつむく背中の寂しさを、よし、気づ こう。それはきれいに円周率で丸まるって求められるって、って。だいぶ父の足は細った。床がひたる。天井がひたる。父がやつれるわけがない。放られた携 帯。新品だけどうす汚れて、そこから広がろうとしたまんま。しようとする重力。小さくいってらっしゃいと言って。僕は外に出る。ずっとずっと正常だ。

全ては相対速度ですぎていく。電灯が何本も走っている。高速道路の上では世界がジオラマのように見える。ガラスと雲を通せば太陽がはっきり丸いことがわか る。光がとれて地表がみえる。おのおのが食べた昨日の夕食がバスの中に汗腺から吹き出してそれから変な臭いのするエアコンの空気が表面を冷やす。まだ全然 冷えてない、バスの中。内壁の表面をなぶって髪の先を冷やす。バスには重心がない。それで、雨がザーザーふっている。誰かが世界の終わりみたいだと言う。 荒々しく、河面が変色している。河から雨が飛んでくるんだと思う。ガラスに雨がつく。ガラスにもたれる僕に雨がつかない。その薄さ。身をよせあってかた まってやっとガラスは透きとおる。純度。あの黒い雲の向こうに光っていると見上げると、困っている。誰かが僕にちょっかいをだす。

西へ向かっている時、見たんだ。きれいだった。太陽が雲のふちから顔をのぞかせて、光る。世界がさけているみたいだった。われているみたいだった。家族4 人ですごいねって、お兄ちゃん案外ロマンチストだねって。言葉にごして、人はみんな詩人だって父が言ってたのを思い出して。その時は酔っていたけど、ひど くかっこよかった。世界のさけめ、われめ。雲も空も同じような色だからそれはよけいにうねって、ちょっと雷を連想する。いや、やっぱ龍。光る龍。飛んでい た。われめが終わるあたり、左でさけめが終わるあたりで彩雲。虹を少しあいまいにしたような。内むく雲とグラデーション。道をまがったら左手に見えますと 言う。興奮気味に発見した父は隣にいる。無臭だ。家族がつまって、会話があわさって車は楽しい。母はいつもたわいもないことを言うから。僕は父にも母にも 似ているなって思う。

シャワーを浴びたら、焼けた髪のにおい。タイルを一歩ずつふみしめる。彼女は離れる。君は5月の空をみながらつっ立っている。雲がそよいでいる。笑む。伸 びていく線路をみつめる。景色が遠のいた茶色の枕木、連なり。よしなしごと。もっと、とらえようとする詩人。世界を全部とらえようとする詩人、のせい。き つくしばれ! いろんなイメージを。どんどん左傾していくのは、そう、ふりなんかじゃない。きりぬける。女子にメールしろ、いますぐ。いますぐ。僕はずっ と僕の目を見ることはできない。世界がさっきできたのか僕は知れない。ちょっと何言ってるかわからない。網戸に穴が開いている。蚊がはいってくる。全てが 僕の方を向く。虫が鳴いたらもう9月。今日はちょっと重い。